詩の世界 愛し愛されて生きるのさ |
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【小沢】詩の世界。 今回のお題は「愛し愛されて生きるのさ」です。 この作品は小沢健二の4枚目シングル&ソロ活動一周年記念(?) として1994年7月20日に発売されました。 軽快なギターサウンドの上に 日常で感じているちょっとした出来事を交えながら 「生きる」ということについて言葉が綴られていきます。 みなとによる解釈 僕は君の事が大好きで、 いつだって君に会いに行きたいんだけれど 理由も無く会いに行くのはちょっと変かな?なんて思って。 で、会いたくなる度にいろいろな理由を考える。 「いや、月がなんかきれいでさ・・・で、誰かと見たいなーなんて思ってさ・・・。」 「やっと雨、あがったね。で、お茶でも飲みに行かないかなーなんて思ってね。」 そんな、とってつけたような、ありふれた理由なんだけど。 だってしかたがないじゃない。 君に会いたくなるんだから。 ちょっと頼りない感じ。 でもどこか憎めない。 そんな”僕”に対して”君”は 「・・・いいよ。」 と言ってあげたくなってしまったりして、 そのときの喜んでいる”僕”の顔を電話越しに想像して、 ”君”もなんだか嬉しくなってしまったりして。 いいですよね。 この割と良くある、何気ない描写が このころの小沢作品にはよくみられます。 この詩の中に”恋人”や”恋愛”といった言葉は出てきませんが、 おそらくはお互い”いいひと”なのでしょう。 私としては ”僕”は”君”が好きなんだけどなんとなく言い出せなくて、 ”君”はそのことに気づいているけど知らないふりなんかしたりして、 その”想い”にこたえても良いかな、なんて思っていたりして・・・ という二人だととてもいいぃぃぃぃ!(笑) くすぐったくなるほど気持ちの良い詩です。 そしてこの作品のポイントは、 *「いつだっておかしいほど誰もが誰か愛し愛されて生きるのさ」 という部分です。 この言葉自体がとてつもなく深い意味を持っています。 これは恋愛というものだけではなく、 世の中の全てに対していえることなのです。 私たちが生活していくうえで、 必ず誰かに、少なからずの「迷惑」をかけているはずです。 そしてそれを許してもらえるかどうか。 それこそが愛であり、 人の道ということになります。 いきなり宗教のような内容になっていますが、 私は別に宗教にはまっているわけではありません(笑) でも宗教を学問としてとらえることは好きです。 話を元に戻しましょう。 これこそ「愛し愛されて生きる」ということです。 誰かに会いたいと思うことも、 電車で席を譲ることも、 母親が御飯をつくってくれるということも、 全ては”愛”のなせるわざ(ちょっと大げさ) 繰り返しますが、私は別に宗教にはまっているわけではありません(笑) なぜ、こんなに大げさになっているのかというと、 「愛し愛されているのさ」ではなく、 「愛し愛されて生きるのさ」だからです。 生きるのですよ。 小沢健二が作り出す作品には、 一見何気ない描写や 意味のない言葉を繰り返しているように見えるときがありますが、 そこに秘めた意味はとてつもなく深く、重い。 この詩をなんであんなにパッパラパー(笑)に歌えるのかよくわかりません。 まさに”天才”のなせる技なのでしょうか? 私も、愛し、愛されて生きているんだなぁと思う今日このごろです。 注:ここで書かれている物はみなとの持つ、小沢健二の詩に対する一つの見方です。 別に他意はありません(笑) *「」愛し愛されて生きるのさ 作詞:小沢健二 |
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